メンバーの声をお伝えします。
「親」
私の親自身(や活動で出会う親の多く)が問題を抱えていて、 それに気づかず(気づいても先送りされ)、解決されないままに結婚、出産して、 それを癒す役目を子どもの私(や当事者)に負わされてきて、 ずっとがんばってきたけど、そうしても、親はもちろん誰も評価してくれない、 自分をすりへらし、親を癒すのにもう疲れ切った感じがしています。
かつては親にも居場所があって問題を解決してきたのか、 かつてなく親の世代が傷ついているのか、急激な経済成長がそうした問題を生み出したのか、 といろいろ考えています。
「切れる」
「最近の子どもは、切れやすくなったとか我慢できなくなった。」という人がいますが、 私は逆に、これまで周囲からの理不尽な要求・ルールにずっと我慢し、 周囲にそれを理解する人がいなくて、 ある日、耐えられなくなって『暴発』するんじゃないかと思っています。
たくさんある社会のルールのどれが本当に必要な物か考え直す時が来ているのかもしれません。
「不登校について」
学ぶとは?生きるとは?
戦後の混乱と経済成長の影で、ややもすると置き去りにしてきた、これらの問いに身をもって答えをさがそうとする若者たち。
大多数の大人は物事の本質を見ようとせず、君たちを不登校と呼び、落第者扱いしてきた。
でも本当は君たちがこの社会に必要なのだ。どこかに君たちの味方がいる。答えは出ずとも考える事に価値がある。きっと仲間が見つかる。あきらめないで。
「自立について」
ひきこもりの問題で著名な精神科医・S氏のお話しによると、日本の『自立』は東洋・儒教の『親孝行』だそうです。
(以下は私の考えですが)
経済的な『自活』に近いという話しは聞いた事がありますが、『親孝行』の方がより近いかもしれません。
社会や家族・親が期待する自立= 親孝行(忠節・奉公)は、女性だと『結婚・育児・家族の世話』、男性だと『就職・立身・出世』で、家族・親の期待に沿う、一緒に暮らす、言いたい事・したい事を我慢することでしょう。
一方で本人・当事者の考える自立は西洋的(別に暮らす、自分の考えを持つ、夢を持って行動する)で、やさしい、家族思いの子はその狭間で混乱し、自己を喪失・崩壊しかけてしまうのではないでしょうか?
「不登校と引きこもり」
不登校は、当初(30年ほど前)は専門機関により本人に問題(情緒など)があるとされ、「登校拒否」と呼ばれ、教育・指導が行われていました。そし て各地で事件(広島・風の子学園事件など)が起こり、前後してフリースクールが出来はじめて、そうした中から実際には行きたくても行けない人が多いという 意味で「不登校」と呼ばれるようになり、学校に問題がある、無理に学校へ行かなくてもいいのではないかという考えが現れ、救われた児童・生徒の方々も多い と思います。
医療関係者により「ひきこもり」という言葉が出来て20年ほどですが、支援機関では本人の問題(病気・障がい・甘え・コミュニケーション能力不足) として、本人への治療・就労への 訓練が行われている事がほとんどです。事件もありましたが、その認識はほぼ変わっていないように思います。行政や支援機関によるご尽力の一方で、総数は増 え、 本人とご家族の高齢化が進んでいます。
私たちの親世代は「食べる」事に必死だった戦中・戦後からがんばって、奇跡的な復興・右肩上がりの成長をとげました。その影で大切な事を置き去りにしてきたのではないでしょうか?不登校・ひきこもりはそんな社会への問題提起の面があると思います。
ご一緒に当事者の声を社会に伝えましょう!
「記憶」
私には、小さい頃の思い出・記憶があまりありません。
ただ小学低学年の頃、自分で作ったウサギのぬいぐるみに「リリー」と名前を付け、泣きながら一緒に寝ていたのはよく覚えています。
欲しいもの、したい事の多くを、言わずにがまんしてあきらめてきました。
家族に言っても(どうせ)かなわないから、言うと(わがままな)自分は見捨てられるから。
最近になって「親もたぶんそうして育ってきたんだから仕方ない」と思うようになりました。
家族の理解は残念ながら得られませんでした。
でもひきこもったおかげで、縁あって理解してもらえる方々と出会い、今はしたい事をしてその収入で何とか生きています。
今の私が出来る事は、関係が断絶している親子の間に入り親子の橋渡しをする事ぐらいです。
もし(万が一)、自分の子どもが出来たら、子どもには悲しい思いをさせたくないとも思います。
「甘え」
ひきこもりは『甘え』だとよく聞きます。
引きこもるって甘えている面が確かにありますが、でも甘える事はそんなに悪い事なのでしょうか。お互いに甘え、甘えられる関係の方が正常ではないでしょうか。
家族や社会も「(本人が)甘えている」と言いながら、本人の意見や希望を奪い、家族・社会の意見や意向・価値観を押し付けてきたのも1つの甘えではないのか。
引きこもって、やっと甘え・甘えられる正常な関係の家族になれたのかもしれません。
「贈る言葉」
不登校に悩むあなたにお伝えしたいのは「不登校は悪い事だけではなく、大切な経験で、得られるものも大きい」ということです。
家で何もせずにいると、時にもんもんとして、くよくよと後ろ向きに考えてしまうこともあるでしょうが、そうして若い時期に自分を見つめた経験は、やがて大きな実を結びます。また同じ経験をした仲間との出会いや交流は、その後の人生を左右することもあるでしょう。
新しいことを始めるときは不安でしょう。でも勇気を出して一歩を踏み出して、いろんな所に出かけ、いろんな人に会ってみましょう。あなたを必要としている人、あなたの味方になる人に出会えるかもしれません。
傷つくこともあるでしょう。そんなときはしばらく休んで、体調が整えばまた出かけてみましょう。そうしていると、いつかあなたが安心して過ごせる場所が見つかるかもしれません。
何か困った時には周囲に「助けて」と言ってみましょう。迷惑がらずに助けてくれる人がどこかに必ずいます。
それを申し訳なく思う必要はありません。あなたが誰かを助ける機会がかならずやってくるので、その時に返せばいいのです。人はそうして善意を引き継いできました。
皆さんの将来を応援しています。
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